伊藤博明、「ベイコンと古代人の知恵」

 ベイコンは英語版『学問の進歩』を刊行してから4年後、1609年に『古代人の知恵』(De sapientia veterum)と題する書物を上梓した。彼はここで、「古代の詩人たちの、少なからぬ寓話の中には、すでにその初めから、秘められたこととアレゴリーが存在していたと思う」と述べて、カッサンドラからセイレンまでの、計31名の神話上の存在に関して、政治学的な、あるいは自然学的な解釈を施している。「近代経験論の祖」の筆とは思われぬスタイルのためか、その内容の重要性にも関わらず、レンミの例外的な研究は別にして、アンダーソンとロッシの研究が刊行されるまで、然るべき考察の対象とはなってこなかった。
 ベイコンが行った、古典古代の神話・伝承にアレゴリー的な解釈を施すという方法自体は、フルゲンティウスの『神話学』(6世紀)のウェルギリウス釈義から始まって中世に伝えられ、12世紀のシャルトル学派に属するベルナルドゥス・シルヴェストリスなどによって採用された。ルネサンス期には、古典古代の学芸の「再生」とともに、このアレゴリー的解釈も盛んとなり、その内容も道徳的なものから哲学的なもの、あるいは神学的なものまで多様であった。『古代人の知恵』は、このようなルネサンス的背景のもとに成立した作品なのであり、それゆえに、1617年にイタリア語訳、1619年に英訳が刊行されて、同時代の人々に広く受容されたのである。
 本発表では、ベイコンの先駆者としてマルシリオ・フィチーノとジョルダーノ・ブルーノの神話解釈とその哲学的含意に簡単に触れたのちに、『古代人の知恵』の中から「クピド 原子」を選んで、具体的に詳しく考察したい。ベイコンによれば、クピドとは、第一質料の欲求または衝動であり、「原子の自然的運動」と見られ、この運動こそが万物を質料から構成し、つくりあげる最古の、かつ唯一の力なのである。また、後年に執筆された、同様な方法論を用いた著作『諸原理と諸起源について クピドとコエルム(天)の寓話に基づく 』(De pricipiis atque originibus secundum fabulas Cupidinis et Coeli)にも言及する予定である。

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